世界に飛び立つ子供には//
今、目の前にいる子供が大きくなった時、時代はもっとグローバル化しているかもしれない。
パパもママも、大切に育ててきた子供たちが、自分たちの所からより広い世界へ飛び立つ日を、いつか。。迎える。
先日、グローバルペアレンティングのカウンセリングをしたママは、来年小学校に上がる男の子のスケジュールを軸に、毎日、忙しく、でも楽しく過ごしている元気な方だった。
でも、このママの悩みは、この彼が、引っ込み思案で、くよくよする、友達がなかなか作れない。。来年小学校に上がるのに大丈夫だろうか。。ということだった。
いろいろ伺っていて、ひとつ、とても気になったことがあった。
これは、日本人の国民性で、大人の私たちでも無意識にしてしまっていること。
でも、欧米諸国の国民性では、見受けられないこと。。
『過度な謙遜』を表現する言動ーーーーーである。
この、ママもそうだが、例えば、友達のママに『**君って、レゴ作るのが上手ね~。器用なのね~』と褒められる。『優しいわね~』と感心される。
ママは、即座に謙遜する。
『いやいや、全然、そんなことないのよ~。たまたま上手く作れたのよ』『優しいなんて、とんでもない。家だとすごく悪いのよ~』と言ってしまう、という。
ママの謙遜からきているこの種のコトバも対応も、そこで聞いている子供の心を傷つけることがある。
子供は、『謙遜』という社会対応法を知らない。事実だと受け止めてしまう場合がある。
自己否定をするようになり、“とても上手にできたと思っていたのに、たまたまだったんだ。。”と思い込む。
いつもママたちに言うのだが、子供は親の所有物ではない。
子供を一人の別の人格として、リスペクトすることが大切だと思う。
アメリカの学校、社会では、このようなネガティブなシーンは一切ないことに気づく。
これが、欧米のママなら、まず評価してくれたことに『Thank YOU~ 』と、来る。
『そうなの、**君はレゴとっても上手に作れるのよ。良かったね~**君、上手だって!』という言い方を必ずする。
『そうなの、**君は、誰にでもいつでも優しいのよ。だから私はそうゆうところ、とっても好きなの』と答える。
子供は自信を持つ。自分を好きになる。
もちろん、『うちの子はすごいんです!』というモンスターペアレントになるのもNGだが、このママの場合は、あまりにも謙遜が強すぎるように思えた。
話を戻すが、いつか子供がグローバルなフィールドへ飛び立ち、様々な国の人たちと接するようになった時、この日本では美徳である『謙遜』という社会対応法は、危険を招く可能性もある、と思う。
謙遜という社会対応法の中で育った子供は、大人になった時に、外に対して自分を謙遜するだろう。それが、社会で生き抜くSAFEな方法だと思っている。
一方、諸外国の人たちは、アウトプットされた、言動で表現されたことを、そのまま信じることが往往にしてある。 先ほどの謙遜のコトバも、そのまま受け取る。
『そうか、**君がレゴを上手に作れたのは、偶然なんだ』と。『優しくないんだ』とインプットされるわけである。謙遜することは、自分の価値を自分で落とす事だけに他ならない。
これは、"伝えなくてもわかるだろう、という思い込みが通用する、島国に住む単一民族の日本人" と "伝え、コミュニケーションをすることで相手に関する情報をインプットする、言語、ルーツ、文化、風習全てが異なる多民族国家の人々" との大きな違いなのだと思う。
子供が、一回り大きな社会に飛び立つ時、虚栄でも謙遜でもなく等身大の子供たちをリスペクトして欲しい。
自信を持ち、自分を肯定し、自分を大好きな子供たちの輝く未来を楽しみに。
RIKA